Enariaをリリースして数ヶ月が経った頃、ユーザーからメッセージが届いた。「占い結果、なんか当たってました。違う意味で」。
最初はよくわからなかった。「違う意味で当たった」とはどういうことだろう。予言が的中したわけではない。でも「当たった」という言葉を使っている。
しばらく考えて、ようやく意味がつかめてきた。
「予言が当たった」ではなかった
占いの「当たる」には、大きく分けて二種類あると思っている。
ひとつは「予言の的中」。「あなたには来月、転機が訪れます」という言葉が、本当に転機になった——そういう意味での「当たった」だ。これはEnariaが目指していないし、正直に言うと目指せない。未来を確定的に予測することは、AIにも人間の占い師にも不可能だ。
もうひとつは「見えていなかった自分が言葉になった」という感覚だ。「転職を迷っている気がしていたけど、実は怖いだけだって気づいた」「うまくいかない理由を外に求めていたけど、本当は自分でわかってたんだと思う」——そういう気づきが言葉になった時に「当たった」と感じる。
メッセージをくれたユーザーが経験したのは、たぶん後者だった。
鏡として作っている
Enariaに「転職すべきか」と聞いたとする。Enariaは「すべきです」とも「すべきでないです」とも言わない。代わりに、質問の背景にある状況、今感じている迷いの構造、どちらの選択にどういう意味があるかを、占術的な文脈で言語化する。
そこで「そう、まさにそれ」と感じる瞬間がある。自分でもうまく言えなかった気持ちが、突然輪郭を持って現れる。
それが「当たった」の意味だと、今は思っている。
「当たらなかった」でいい場合もある
逆に、Enariaの言葉が「全然ちがう」と感じることもあると思う。それはそれで正しい。「この解釈は私には合わない」と気づくことも、自分を理解する手がかりになる。
占いが「当たる/外れる」という二項対立で語られがちなのは、予言としての占いを前提にしているからだ。Enariaは予言をしないので、「外れた」という概念がそもそも少し違う。「この見方は自分に響かなかった」という体験は、むしろ正直な反応として歓迎している。
水晶玉ではなく、静かな問い
私はEnariaを「水晶玉」として作っていない。未来を映すものでなく、今の自分を少し違う角度から見せてくれるものとして作っている。
だから「当たるの?」と聞かれると、「予言としては当たらない。でも、あなた自身のことが少し見えやすくなるかもしれない」と答えるようにしている。
「違う意味で当たってた」というメッセージは、そういう使い方がちゃんと届いていたということだと受け取った。正直に言えば、それが一番うれしい評価だった。